「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の感想です
<感想(ネタバレあり)>
冒頭「sincerely(心から)」の言葉
OP、テレビアニメの10話の後日談から開始される事から
この映画自体が後日談であると示唆している
海、船での式典の後挨拶する場面があるのですが
敬礼ではなくちゃんと挨拶出来る様になっていて
彼女が人間性を取り戻しつつある事が分かる
この時点でヴァイオレットはドールとしては3ヶ月の
予約待ちが出るほどの人気者となっている
この世界で電話が普及し始めているのは物語が
終わる事の暗示ですね
少佐の兄、大佐との会話ですが大佐は親から将来を
決められていてそこから逃れられなかった事が明かされます
これは孤児である(←たぶんネグレクトのメタファー)
ヴァイオレットを粗末に扱って来た大佐も親の抑圧を
受けた過去があってそれをヴァイオレットに「移譲」
していたんですよね
大佐は少佐が死んでいると思っているのでヴァイオレットに
遺品を渡そうとして、ここでヴァイオレットとのわだかまりは
解消されます(とはいえその前に大佐がポケットに手を入れた
瞬間ヴァイオレットが取り押さえるのは、まだ完全には戦争後遺症が
抜けていないんですけど)
その合間に病気で余命があとわずかの少年のエピソードがあります
が、これは少佐と会った時に生きて来ます
ふとした事がきっかけで少佐が生きている事を知って
ヴァイオレットは会いにいくのですが、ここで少佐は何故か「会わない」
物語上ではその気になればヴァイオレットは会うことは出来ますが
「会えない」んです
何故なら彼は「過去にいるから」
この時点で少佐は「ヴァイオレットがかつて戦争で殺戮兵器として
後ろめたさもありながら使用していた過去そのもの」であり「子供を今ひどい状態になっている学校にいかせる毒親」でもあるからです
だからドア一枚隔てているだけなのに会えない
クラウディアが少佐に会う時カメラが反時計回りになるのは
「過去」と会うから
ここでヴァイオレットは号泣するんですが
これは「お涙頂戴」の演出では無くておそらく
スタッフが「泣いて欲しい」んですよ
何を言っているのかといいますと、いったん会えないという
悲しみを味わってもらうことで、子供たちに「泣く」という
感情を我慢(抑圧)せずに表現して欲しいからではないかと
クラウディアが「馬鹿野郎」と叫ぶのは怒りを表現して欲しいから
自分の感情を抑圧しなくてもいいんだと伝えているんですよ
クラウディアの声優が子安武人さん(「ダイの大冒険の大魔王バーン」)
なのでこのあとカイザーフェニックス出さないかとビクつきましたが(^^ゞ
ヴァイオレットちゃん大丈夫かな?と思ったんですけど、
ここでヴァイオレットは前に会った
余命わずかな少年の為に、他人の為に行動することで自分を保てます
そしてじつは豪雨の後に晴れていることからもわかりますが
ヴァイオレットはもう大丈夫なんですよ
少佐が生きている事が確認出来ていますし
でも今度は少佐を癒す必要があるんです
片腕と片目を喪失している事からも分かる通り
彼もまた傷つき疲弊した子供だからです
ではどうすればヴァイオレットは少佐に会うことが出来るのか?
少佐が「現在」になればいいんです
大佐が少佐に会いに来て「お前はもう自由になれ」というセリフで
少佐の呪縛が解かれて前に進むことが出来、時間が進んで「現在」になる
そうしてヴァイオレットとの関係は上官と部下であり疑似親子でも
あったけどこれでようやく一人の男と女になってふたりは結ばれます
少佐の後悔のセリフは視聴者の子供が自分の親や保護者に言って欲しいセリフ
その後郵便社のある街に戻って花火が上がるシーンは
これは文字通り打ち上げですよね
そして「あいしてる」の言葉で物語の円環が閉じて完
<終わりに、衛生兵を呼んでいる>
上記の見方をすれば、傷つき疲弊した現代日本の子供たちを癒す物語なんですよ
それも京アニが製作した、現時点で考えうる限りの
一部の隙も無い超絶ハイクオリティアニメ
ですがこれほどのアニメを作らないといけない今の日本って
相当ヤバい状況なんじゃ…という事に気づかされるんですよ
つまりこれだけの癒しの物語を人々が求めているから
作られた訳で、そう考えると最後の「あいしてる」の言葉が
私には戦争映画で良くある「衛生兵!(medic)」と呼んでいる様に見えて
しまいました(-_-;)
<追記>
金曜ロードショーにはがっかり、地上波初放送でなんとノーカット放送じゃないとは…