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ふたつの意味で人でなしな寓話 映画「ラム/LAMB」感想

アイスランドが舞台のネイチャースリラー映画です

 

 

youtu.be

 

<あらすじ>

羊飼いのイングヴァル(ヒルミル・グナイス・イグナソン)

とマリア(ノオミ・ラパス)の夫婦は

ある日、羊の出産に立ち会うと

羊から”何か”が生まれてくる

 

子供を亡くしていた二人はその

”何か”に「アダ」と名付けて育てる

 

二人は幸福な生活を送るのだが…

 

<感想>

こういった舞台も登場人物も限られた

夾雑物を排した映画は、寓話的な要素が強いのかなと

 

主演のノオミ・ラパスは製作総指揮も務めております

 

ポスターがピエタ(キリストを抱く聖母マリア)で

夫婦が羊飼いなので、キリスト教的な暗喩はあるでしょう

 

冒頭、馬の群れが「何か」に怯えて

その「何か」が羊小屋に入って

羊が〇される

 

ラクターの修理中に犬(ボーダーコリー)に向かって

ロープを取ってこさせるけど

犬は何かに怯えて戻ってくるのは

「何か」が近くにいるんだと

 

「他人から子供を奪ってその母親を殺す」

という点からすると、マリアは「人でなし」で

アダという「人でなし」を育てているという

ねじくれた構造で、さらにねじくれているのは

 

付けた名前は亡くした子供の名前で、墓参りを

している事からちゃんと子供を亡くした事実に向き合っているのに

”何か”にアダと名前をつけているという(;'∀')

 

アダを我が子の様に愛おしむマリアにイングヴァルは

気まずそうな表情をしていて、ここらへんは

子供を亡くして精神をおかしくした母親の

ある種サイコな話に見えますし

 

アダがもう本当に奇妙な、戯画的なキャラクターなのは

大人にとって子供って別の生き物に見えるよね

という表現なのかも

 

母羊が我が子を求めているのを

こっそりと射殺して、その死骸を埋めて

隠ぺいするのは、世界史的な見方をすると

過去にあった自分たちの国がしたことに

蓋をして、ごまかそうとしていると受け止めることも出来ます

 

ふたりはただ幸せになりたくて

アダを家族の一員として育てますが

最後、因果応報な結末になる

 

マリアがイングヴァルの弟

ペートゥル(ビョルン・フリードル・ハラルドソン)が

来訪した時に煙たがっていたけど、このふたり

昔付き合っていたんじゃないかという描写も

あって、もしかしたら亡くなった「オリジナルのアダ」は

ペートゥルとの間に出来た子供だったのでは

無いのかと推測することも出来ますね

 

さらに想像力をたくましくすると、「オリジナルのアダ」は

ペートゥルとの不義理で出来た子供なので、実は

マリアかペートゥルが殺害した事を隠していたけど、過去に犯した過ちは

隠せないとばかりに「アダ」が出現したと考える事も出来ますね

 

ペートゥルがアダを連れ出して射殺しようと

しているのも昔の罪を否が応でも

思い出させるから(未遂ですけどね)

 

そういった陰鬱な展開を

アイスランド大自然の美しさを対比的に描く事で

さらに際立たせてますよね

 

七つの大罪とマリアの受難>

アイスランドは人口の80%がルター派キリスト教

ということなので、キリスト教の現代的な解釈を

していると推測出来て、「七つの大罪」と「マリアの受難」

が絡んで来るのではないかと

 

まず、子供を亡くした事で<悲嘆>にくれていて

羊がアダを生んで<嫉妬>で<怒り>、<強欲>を発揮して

アダを母羊から奪い、弟が来訪してくる時腹ペコ

なのは<腹の貪食>で昔ミュージシャンだったという<虚栄>

夫婦がアダを自分たちの子供として育てているのも<虚栄>

夫とおそらく久しぶりであろうセックスをするのは<淫蕩>

なので、マリアが最後夫とアダ両方を失うのは必然であると

つまり「マリアの受難」ですね

 

そして羊が「反芻動物」である点も重要で

これは製作者が

「何度も繰り返し観て自分たちで考えてね」って

いう意図もありますね😅