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思考停止の気持ち良さと危うさに揺さぶられる アニメ「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」感想(1991年公開)

機動戦士ガンダム」いわゆる「ファーストガンダム

の外伝的作品の感想です

 

監督:加藤充子、今西隆志

 

今回あらすじは書かずに、視聴した人向けに

ジオン側の主人公「アナベル・ガトー」に焦点をあてて

記事を書いてみます

あらすじはこちらを参考に↓

機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY - Wikipedia

 

<製作の経緯>

「0083」は「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争

が商業的に成功したのを受けて作られたっていう経緯があって

小説版ではバーニィは生存してます

 

0080」が「戦争って良くないよね?」的に描いたのに

「0083」では「でも戦争って楽しいよね?思考停止って気持ち良いよね?」

って描いていて、観ているこちらを揺さぶって来るんですよ

 

出て来るメカがカッコいいし

なにより「ガンダムVSガンダム」をやったのは新しくて

(以後デフォルトみたいになっちゃうんですけどね)

 

 

連邦側の「デンドロビウム」やジオン側の「ノイエ・ジール

とか、メカ好きにはたまらないでしょうし

 

 

そういう物語を、当時流行った映画「トップガン」の

登場人物を参考にして描くもんだから

さらに気持ち良くさせられてしまうんですよねー😅

 

 

作中に出て来る「アナハイム・エレクトロニクス

は「バンダイ」そのもので、連邦側にもジオン側にも兵器を売っている企業で

「おもちゃを売って肥え太る」存在

 

本当はもうガンダムってコンテンツ、消費しちゃいけないんですけど、消費者側を

「カッコイイメカのアクションがアニメで動くの楽しい、気持ちいい」

っていう方向に上手く誘導させられちゃって、ここは

消費者側の業が深くて、だから「ガンダムエース」なんていう雑誌が

出来ちゃって、いまだに存続しているのは本当は良くないんですよ

 

 

アナベル・ガトー

地球連邦側はコウ・ウラキの成長物で

ジオン側はアナベル・ガトーの復讐劇なんですけど

 

ガトーは、終始自分が戦っている理由を

疑わないというか、相手も同じ人間で、相手なりの事情があるのを

考えず、思考停止したまま戦って死んでいく

 

それが、観ているこちらからしたら羨ましく見えるんですよ

「自分は正義の側の人間で、向こうは悪いモンなんだ」っていう

思考から一歩も出ないで、気持ち良さそうで羨ましい

 

年齢が25歳(!)なんですよガトーって

たしかに武士っぽい考えの持ち主なのかとは

思いますが、この話一応未来の人類の話なので

彼がその年齢に達するまでに、人類の歴史を学んでいるはずで

少佐にまでなっているんだから教養だってかなり

あって然るべきなんですよ

 

それなのになんでこんな大量殺戮を行ったのかは

おそらくあの「青白い顔したインテリ」デラーズ

丸めこまれたんでしょうね

 

「わしにその命を預けろ」って

言われて悔しさに顔を歪ませるのも、正直悲劇的なヒーローっぽい

自分に酔っている危うさを感じて

 

「散っていった同胞たちの為に」戦っていたんだと言うのも

ヒロイズムに酔っている危うさが感じられちゃうんですよねー

 

ジオン側にも「シーマ・ガラハウ」っていう「事情を抱えたキャラ」

が出るんですけど、あくまでもガトーは「獅子身中の虫」と断ずる

彼女の気持ちを汲んでやったらもう少し話の展開も違った

物になったんじゃないかと

 

「連邦と話す舌を持たん」って

言うのは、コミュニケーションによる理解を拒絶していて

連邦側で唯一理解出来そうに見えるのは、敵として相対したウラキだけ

 

ガトーは兵士というより戦士なので

「連邦の犬」では無く、ある意味「共に戦った一人の戦士」として

認めたから、最後撤退せずにウラキを待って戦うんですよ

大義もあったけど、一人の戦士として生の充足を得たかった

 

ニナ?誰それ?美味しいの?

 

この作品を観ていると、どうしてもジオン側に

肩入れせざるを得なくて、そういうのって

とっても危険なんだよとは製作者は言わないんですが

歳を取って改めて見直すと、やっぱり危うい表現なんですよね

 

<なんでニュータイプが出て来ないのか>

製作にあたり、富野由悠季さんから「ニュータイプやってよ」って

言われたそうですが、植田益朗さんは「安易だから」と断っている

 

知っているんですよね、「人類は進化なんてしないんだ」って事を

 

「人類進化」ってSFの大きいテーマで、代表的な映画だと

スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅

映画版はわざと難解に作られているので、小説版を

一緒に読むと理解出来ます

 

本当にこの映画が作られた時代って

「人類は進化して次のステージに行くんだ」って信じて

「しまって」いたんですよ

でもそれはどっちかというと、ヒッピー文化の延長線上にあって

 

ヒッピー文化、いわゆる「カウンターカルチャー」は

大資本の前に敗北しているから

もはや人類進化を信じている様な人って「老害

 

21世紀の幕開けって、アメリ同時多発テロ

いわゆる「9.11」で

ja.wikipedia.org

 

あの事件は、「分かり合えない世紀の始まり」を象徴していて

漫画や映画、アニメなどで「相手も同じ人間なんだ」的な

コンテンツが多いのは、こういう流れに抗っているんだけど

 

「思考停止の気持ち良さ」にはやっぱり抗えない

アメリカならドナルド・トランプの振る舞いを見れば

一目瞭然で、「他者」の理解を拒絶してるんですよね

「自分たちはイイもん」だと

 

で、もう一度0083を振り返って観てみると

未来の宇宙の話なのに、人類は敵味方に分かれて

延々と争っているのは

「人は宇宙に進出しても分かり合えず、争い続けるんだよ」っていう

絶望を描いているんですよねー

 

このアニメを観ておもちゃや関連商品を

購入することで「バンダイアナハイム・エレクトロニクス」を

存続させ、「ガンダム」というコンテンツを延命させてしまってますし…

 

そういった事を消費者側は煩悶しないのはやっぱり

問題なんじゃないかと考えてしまうんですよね…