オンラインゲームの世界を舞台にしたSF映画です
<あらすじ>
「フリー・シティ」では「サングラス族」と呼ばれる
連中が気ままに銃をぶっ放してやりたい放題
そこに住んでいる平凡な男「ガイ(ライアン・レイノルズ)」は
毎日同じ銀行に勤めて、毎日銀行強盗に遭っていた
ある日、サングラス族の「モロトフ・ガール(ジョディ・カマー)」
に一目惚れし、彼女に会う為彼らと同じくサングラスをかけると…
<感想>
「ある男が、自分が置かれている状況を理解して目覚め、
そこから脱出する」っていうプロットを見ると
「トゥルーマン・ショー」を想起する人もいるでしょう
でも、主人公であるガイ(ライアン・レイノルズ)は
ゲームのキャラ「AI」で、人間では無いんですよね
「トゥルーマン・ショー」の主人公トゥルーマンは
生まれてから自分の人生を24時間監視されている
注目される存在で、ガイはそれとは逆で
ゲームキャラ、それも「モブ」というゲーム世界の風景の
様な存在で誰からも注目されていない
「トゥルーマン・ショー」のテーマは
「人の人生を見る事、撮影する事の加害性」と
「自分を抑圧し、支配している存在からの脱出」、そして
「どんなに感動する物語(フィクション、ノンフィクションに限らず)
でも、それは消費されていってしまう」という「大量消費社会の風刺」で
ぱっと見同じなだけで、テーマは違うんですよね
私の「トゥルーマン・ショー」の感想はこちら↓
ガイのいるフリー・シティは、オンラインゲームで
そこで人間であるプレイヤーは、銀行強盗をしたり
現実世界では到底許されない事を行って欲望を解放している
モデルは「GTA(グランド・セフト・オート)」あたりでしょうか
法律というタガが外されると、人間はああなっちゃうんですよね
ガイがある日、モロトフ・ガールに会う為にサングラスをかけて
フリー・シティの本当の姿を知るのは「ゼイリブ」オマージュ
↑「サングラスをかけろ!」と長いプロレスが始まる😎
ガイもサングラスをかけたので、この世界に
干渉出来る存在になるんだけど、彼は犯罪を犯さない
ここはどう言いたいのかというと
「なんでも出来るって事は、しなくてもいいって事」
だと表現していて、じつは「GTA」系のゲームは「倫理」について
言及していたコンテンツだったと気づかせてくれます
あまり子供の保護者から良くは思われていないゲームでしょうけど
ゲーム世界内で何をするのかはプレイヤー次第という事は
行為の選択をプレイヤーにゆだねられているって事なんですよね😊
ガイはゲーム内で善い行いをすることで
「ブルーシャツ・ガイ」という通り名を付けられ
世界中のプレイヤーから注目されていき
モブでは無くなっていく
社長のアントワン(タイカ・ワイティティ)は
登場していきなり社員を解雇したり、エキセントリックな
言動から、モデルはおそらくスティーブ・ジョブスで
10年以上前にお亡くなりになっているのにまだイジられてるw
ガイが銀行強盗をしているプレイヤーの
彼女(モブ)に「人生はもっと充実していて自分で決められる」
という台詞を言って「誰とも付き合わなくていい?」と彼女が返す
このシーンで映画のテーマが見えて来て
モブは「決まりきった日常に埋没している人達」や
「自分の人生がこれしかないと思い込んでいる、思い込まされている人達」の象徴で
「自分の人生は自分で決められる、選ぶ事が出来る」と主張していて
若干自己啓発っぽいんですけど、なんか若年層向けの映画なのかなと
「僕達は何にでもなれる」とか「今ここがリアルなんだ」とかね(^^ゞ
でも、このゲームを遊んでいる人達って
ネトゲに耽溺している現実逃避者なんですが…(;'∀')
ガイの呼びかけで、モブキャラ達が反旗を翻し
フリー・シティがプレイヤーを除いて
誰もいなくなり、ゲームが成り立たなくなる
ここは、街の風景の様な存在だと思われていたモブ達は
そんなことは無くて、彼らが居たからこそ
ゲーム世界は世界として成り立っていたという事なんですよね
彼らこそが世界なんだよと
最終決戦後、フリー・シティから解放されて
ガイたちは平和な世界を築いていますが
ちょっと待って欲しい
ガイは「世界初の意思を持ったAI」で
しかも彼が他のAIに干渉することで
周りのAI達も目覚めて社長のアントワンに反旗を翻しているんですよね?
でももしも、ガイ達が人間を自分達AIより
劣った存在だと見做したら?
自分の住んでいる世界を狭く感じて
もっと広げたいと思って人間が邪魔に感じたら?
って考えるとこの先安心出来ない決着の仕方
なんですけど😅
ちょっと最後気になるところはありますが
映画内で出て来るガジェットの元ネタを探したり
するだけでも楽しめる映画なのでおススメです\(^o^)/