エーリヒ・マリア・レマルク原作の長編戦争小説
の映画化作品を、1930年版と2022年版とを比較します
原作は、作者のレマルクが実際に戦争に行った
経験を元に書かれた小説です
で、その原作を元に映画が製作されました(1930年版)
監督:ルイス・マイルストン
主演:リュー・エアーズ
まず冒頭、教師が生徒を戦争に参加するよう
アジるシーンがあって、たぶんコイツ戦争経験した事
ないんだろうなー、と白目になるんですよね現代の
私たちからすると😑
当時の学生たちはあんまり情報がないから
アジられて、興奮して意気揚々と従軍する
そして軍服を着て集合するんですけど
そこでいつも会ってる郵便局員が上官になっていて
みんなは親しげに話しかけるんですけど
郵便局員は威張り散らす
おそらく彼は日ごろ鬱憤がたまっていて
学生たちから馬鹿にされていると思っていた
それと上官になる事で権力を持った事で
簡単に豹変してしまうんですよね
戦地に送られて古参兵のカチンスキーに
会いますが、軍隊物でよくあるイジメとかは
無くて、戦場での生き方を教えてくれる
いい奴なんですよね
そこから戦闘が始まって、主に塹壕戦が描かれます
碌な食料も配給されず、ネズミが湧き出たり衛生面に問題があり
空爆の恐怖に怯え、迫りくる敵と戦うシーンが続いて
主人公パウルは戦争に参加した同級生が目の前で
死んだり、足を無くしたりするのを体験する
ある戦闘で、パウルは銃による戦闘では無く
ナイフによる接近戦で敵を殺すんですけど
敵の懐にあった手帳を見て「相手が同じ人間である」事を
実感してしまって号泣する
人間性を喪失していくんですね
休暇をもらって故郷にいったん戻るんですけど
教師が相変わらず生徒をアジっていて
パウルに何か言うように促すけど、彼は
「何もないからやめておけ」的な事を言って忠告する
が、生徒は戦場を知らないから彼を「臆病者」と罵り
彼の言葉は届かない
大人たちも大人たちで、机上の空論をダベッている
いわゆる「床屋政談」みたいな感じ
戦場から帰って来て、パウルはすっかり変わってしまい
もう日常に戻れなくなってしまって、ここは「ランボー」でも
テーマになった「帰還兵の苦悩」が描かれます
戦場に戻って、古参兵のカチンスキーと少しだけ
ほほえましい会話をするけど、彼も簡単に死んでしまう
最後、パウルは戦場で蝶に見惚れて敵のスナイパーに射殺され
兵士たちが振り返る映像に墓場が重なってEND
次に2022年版の感想
監督:エドワード・ベルガー
主演:フェリックス・カマラー
途中まで大筋は変わらず、戦争の悲惨さの表現が
90年経過しているので、カラーになり特殊効果も
進歩しているので映像に迫力があります
ですが、大きく異なる点がいくつかあって
それは「停戦交渉する二国間の軍上層部」と
登場した「大量殺戮兵器」が出て来る点、そして
「パウルがいったん故郷に戻らない」点です
停戦交渉の場面は、ドイツ側にしろフランス側にしろ
メンツや相手の言葉遣いにこだわったり、パンの焼き加減が
気に食わないとか本当にどうでもいい事にこだわるどうしようもない
連中に見えて、ドイツ側になんとかこの惨劇を止めようとする
キャラが居て、その人は息子を戦争で亡くしているから
当事者意識があるんだけど、その他の連中は、特に
ドイツ側の元帥がひどくて、屈辱的な条件で停戦するのが
くやしいので、停戦の時間まであと15分あるからまだ戦闘を
継続するという馬鹿さ加減で、ここらへん時代も国も違うけど
韓国の戦争映画「高地戦」のラストと同じ愚かさを描いているんですよね
戦車が登場するシーンは、この映画のこういっちゃ
なんですが興奮するシーンで、現在の戦車と比べると
ショボいんですが、それでも歩兵には恐怖の存在で
なんか怪物にも見えて白眉ですね
毒ガスと火炎放射器で人がガンガン死んでいくのも
「うわー😱」ってこちらも悲鳴をあげるしか出来なくて
「優れた戦争映画は反戦映画になる」の法則を証明してます
でも、よくない点があって、パウルがいったん
休暇で故郷に戻らないのはどうなのかと
故郷に戻る事で、教師が学生をまだアジっていたり
大人たちが机上の空論を楽しんでいるのを見て
パウルが幻滅するのを見せて、彼がもう日常に戻れない
事を表現しないのはいただけなかったですね
最後に、両作品共通の、原作にあった大事な点が無くて
それはタイトルの「西部戦線異状なし」が
出て来ないんですよ
原作の最後に指揮官が報告書に「西部戦線異状なし」って
書いて終了して、それがあるから戦争の非人間性が際立つのに
両作品ともそれがないのは
タイトル詐欺と言われても言い逃れ出来ないのではないかと…(-_-;)
とはいえ、1930年版も、2022年版も優れた戦争映画で
反戦映画ですので、両方見比べてみるのを
おススメします\(^o^)/