kindle unlimitedで読める、ドキュメンタリー作家
森達也の著作の感想です
<感想>
この人は、一連の「オウム真理教事件」が起こった時に
オウム側に許可を取って、オウムの中を撮影したら
彼らは普通の人間で、彼らの側から社会を撮ってみたら
社会の異様さを発見したという経緯があって
まず、彼がドキュメンタリー映画を撮り始めるまでの
経緯を紹介していて、彼は別に特別な志があった
訳では無くて、そもそもドキュメンタリーに
興味がある訳でもなかったんですね当初
でも、ドキュメンタリー映画というジャンルを知るうちに
その魅力に気づくんですけど
そこで彼は、事あるごとにドキュメンタリーとは何かに
ついて言及していて
「公正中立なんてものは、ドキュメンタリーには無くて
キャメラ(彼はこう呼ぶ)を通して被写体と撮影者が
関係性を構築し、虚と実があいまいになるからこそ
表現が豊かになる」というのがざっくりとした定義だそうな
公正中立にこだわるとしたら、それは「報道」で
ドキュメンタリーとは水と油くらい違うと
この本が発表されたのは2005年で、「A」の発表から
それまでに、日本やアメリカがどの様に変質したのかが
記載されていて、その事に彼は別に声高に声を上げる
訳でも無くて、「つくづく思う」という彼の口ぐせと共に
嘆息する
特に、オウム事件を発端とした「異物を排除する傾向」
「犯罪の加害者を怪物として描くマスコミ」や
「タブーだと(勝手に思っている)されている事象に
腫れ物に触るように扱う姿勢」に危惧を抱く
だけど、彼は別に社会派という訳では無くて
「これはドキュメンタリーじゃない」と断ずる
なぜならこれは当時のブッシュ政権を批判するという
目的ありきで製作されているから
それと、キャメラで他者を撮影するという事の
加害性に言及していて、キャメラは凶器であり
撮影の対象を傷つける行為で、その事の
煩悶が映像に焼き付けられる事が表現行為なのだと
だから、ドキュメンタリー映画を作る者は
自分が「人でなし、鬼畜」である事を自覚する
覚悟が必要であると告げる
先輩のドキュメンタリー作家の原一男や
土本典昭、海外のドキュメンタリーの紹介や批評が
載っていて、この人かなり文章力があって
どんどん読み進められます
紹介されたドキュメンタリー映画を挙げておきますと
「ゆきゆきて、神軍」
「水俣 - 患者さんとその世界」
海外の有名所でいえばモーガン・スパーロックの
森達也自身としては「A」シリーズの三部作
というか、結果としてそうなった最後の「A3」を
撮りたいと言っているけど、この時点では
なかなか上手くいかず、数年後映像では無く
本と言う形で「A3」は世に出る
正直彼の考えに私は全面的に賛同している訳でも
無くて、なんでかって言いますと要するに
「自分が興味がある被写体に、許可を取ったとは言え
彼らをキャメラという凶器でズタズタにして、その事に
ついて煩悶する」というのが、私からすると変態的なんですよね
とは言え、読ませる文章で、これがkindleunlimitedなら
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