イギリスBBCで放送されていた
刑事ドラマの映画版の感想です
監督:ジェイミー・ペイン
主演:イドリス・エルバ
<あらすじ>
刑務所に収監されていた警視庁の名刑事ジョン・ルーサーが脱獄
自らの心をさいなむ未解決事件の殺人事件に
決着をつける為、猟奇的な連続殺人犯を追い詰める
<感想>
私はこのジョン・ルーサーという刑事ドラマを
知らなくて、映画の内容はどうやらドラマ版で
逃した犯人との決着をつける話になっている
様ですが、映画単品でも話は成り立っていると思います
で、話の冒頭でタイトルにもなっているルーサー(イドリス・エルバ)は
もう刑務所に収監されちゃって「?脱獄物かな?」と
訝しむも、彼が刑務所内に簡単にスマホを持ち込んでいたり
看守と取引をして結構あっさり脱獄に成功しているので
「こいつ、刑事だけど、法の外に存在しているタイプの奴だ」と
分かりましたね
そして、彼が追っている連続殺人犯ですが、こいつは
結構正体が速めに明かされて、ミステリー映画では
ないのがわかる
なら、この映画の主題はいったいなんなのか?
それは「ネットワーク社会によって肥大した人々の暗い欲望」
犯人は、ネットワークを使って人の恥や弱みを握り
捜査する怪物だけど、中盤あたりでルーサーに
面が割れ、あと少しで捕まえられそうになる体たらく
終盤に明かされる犯人の「恥」が、とってもショボい
事からも分かる通り、こいつは「真犯人」ではない
ネットワーク社会によって、人間には暗い欲望があって
それが拡散、増大されてしまった事が今作の元凶
最終シーンの舞台が、ああいった夾雑物が
取り払われた様な場所に設定されているのは
人間の欲望が剥き出しになった事のメタファー
事件当初、当事者ではなかった黒人女性刑事や
その部下も事件に巻き込まれるのは、誰もがこの
ネットワーク社会の当事者である事から逃れられないから
犯人をなんとか、ギリギリのところで倒すことが出来
その終わり方がなんとも象徴的(「〇に閉じ込められて出られない」とか)
で、かなりの良作ではありますが、実はこの
映画と同内容の主題で、2006年に「レベル・サーティーン」という
タイの映画が今のネットワーク社会が生み出す問題点を
指摘していたんですよね
マイナーなのかなこの映画↓
映画の内容は、金に困った主人公が多額の
賞金がかかったゲームに参加し、それを
多くの未知のユーザーから見られているというもので
ゲームに出て来る課題をこなす内に
彼は人間性を喪失していく
一部の映画ファンの間では「〇〇〇を食べる」シーンが
有名で、もう2006年の時点でネットが決して良いものでは無く
人々の欲望を増幅させ、操作する代物であると指摘されていた
今のネットワーク社会が当たり前の物である人には
わからないと思いますが、インターネットの黎明期
あたりでは、「これが我々を解放し、幸福にしてくれるんだ」等と
無邪気にはしゃいでいた風潮もあったんですよ(私もそう思ってました)
でも、そんな事は無くて、便利にはなったけど
人との繋がりが無くなり、見えなくなり
欲望は増大し、凶悪犯罪のツールになった
だから、この映画の副題に「フォールン・サン(落日)」とあるのは
ネットワーク社会によって何か新しい、良い事があるという
希望が潰えた事を指している(監督の名前に「ペイン(痛み)」が
あるのが、また象徴的に見えてしまう)
この映画を観て、ジョン・ルーサーに興味が沸いたら
ドラマ版で彼の過去を追ってみるのをオススメします
\(^o^)/