チャールズ・ブラントのノンフィクション小説を元にした映画の感想です。
監督:マーティン・スコセッシ
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<あらすじ>
裏社会のボスに長年仕えて来た殺し屋フランクが秘密と暴力にまみれた自らの半生を振り返る。
<感想>
実在したマフィアの殺し屋「フランク・シーラン」の告白を元にこの映画は制作されていて、その中で全米トラック運転手組合の委員長「ジミー・ホッファ」が、歴史上では行方不明とされているけど、原作でフランクが殺したと告白した事が、この映画をマーティン・スコセッシが撮った理由なんでしょう。
で、この映画の語り手であり主人公のフランク(ロバート・デニーロ)はマフィアのラッセル(ジョー・ペシ)にスカウトされて殺し屋として暗躍する事になる。
そもそも、スカウトされた理由が第二次世界大戦に従軍していた際に、捕虜を「上官の命令だから」とあっさりと殺す事が出来るのを認められた訳で、それが彼の人生を決定づけてしまう。監視カメラも無ければ、科学捜査もまだ未成熟なので実行される殺しが物凄い野蛮というか荒っぽい。使われた凶器の処分の仕方も荒っぽくて時代を感じさせます。
登場人物に「死亡した年と死因が表記されている」のは、なんかみんなマフィアとして暴れているけどみんないつか病み衰えて死ぬんだよという諸行無常を表している。
「ポリティカリーコレクトネス(政治的正しさ)」等という言葉が無かった時代なので、人種差別発言や同性愛嫌悪が連発され、マフィア達がどんなに金を稼いでいても
ただ恐れられはするが、決して人として尊敬はされないささいな事で口喧嘩したりするシーンとか、「馬鹿じゃないの?」と思わずにはいられませんからね。
それは、友人であったホッファを殺した事を察したフランクの娘達から、絶縁されたり距離を置かれたりしている事からも分かる。人としてまったく成熟していないんです。この作品が、現実に存在したマフィアの告白を映画化しているので、結果としてそれが何よりも雄弁な教訓話として機能している。
観賞中に「これは、この時代のアメリカの歴史を知らないとちょっとよくわからないかも」等と思っていましたが実は違くって、アメリカのマフィアが暗躍していた時代の知識を知らないという事が、逆にメタ的に機能して、彼等は忘れ去れらる存在なんだよと言っている。
それは、終盤の看護師が「ホッファ、誰?」と言っている事からもわかるとおり、看護師=歴史を知らない観客なんだと。
冒頭にデカデカと「お前がやっているのを知っている」というのは、我々観客はフランクがホッファを殺した事を目撃していて、フランクが文字通りその事を「棺桶まで持って行く」等と決意していてもそんな事は無駄、けど、彼は余りにも「命令に従う」人生を送ってしまっているので、「しゃべらない」というより「しゃべれない」んでしょう。
映画の演出上、フランクはホッファを殺した事を結局最後まで告白しませんが、原作ではホッファの殺害を最後に告白した事がアメリカでは物議を醸したんだそうな。
この映画で汲み取れる教訓は「自分で考えずに人の言う事を聞いてばかりいると、大切な物を失うんだよ」って事。
最後、フランクが終活をして終わるのは象徴的でこれは「マフィアがいた時代」そのものの終焉を表している。
ドラマ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」で描かれているとおり、マフィアは自分たちが行って来た凶悪犯罪の為に「RICO ACT(日本でいう暴対法)」による締め付けを受けかつて隆盛を誇っていたのもいまや見る影も無いのは因果応報なんですね。
出て来る俳優たちが、マフィア映画の常連で固められているのも、明確に意図したもの。しかもこの映画、劇場公開ではなくNetflix配信なので、その事自体が時代の流れを象徴している。
210分という長尺ですが、じっくり見せるマフィア達の挽歌、おススメです\(^o^)/