にきさんすけのバラエティショップ

ASD自覚者(確定診断未実施)が、映画や漫画等の感想を書いてます

WAIS-ⅣとAQ-Jの結果で分かった事とこれからの生き方について

 先週メンタルクリニックに行き、「WAIS-Ⅳ(ウェクスラー式知能検査)」を受けました。

2ki3suke.com

 

 で、一週間経過したので結果を受け取りに再度メンタルクリニックへ。

 

 WAIS-Ⅳの結果なんですけど、「この結果をネットに挙げてもいいですか?」と検査者の公認心理士に相談したところ、「結果を撮影した画像をそのまま挙げるのはよろしくないので、あくまでも文章でなら構わないと思います」とアドバイスされたので写真は挙げずに文章で伝えます(名前等の個人情報を晒してないので強気)

 

 心理検査結果

・言語理解指標・・・平均よりも高い

・知覚推理指標・・・同上

・ワーキングメモリー指標・・・非常に高い

・処理速度指標・・・平均

・全検査・・・平均よりも高い

 といった結果でした。

 

 私はてっきりなにかの能力が劣っているのかと思いました。映画「ブレードランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」で、主人公のデッカードが自分がアンドロイドを追っていくうちに、「もしかしたら俺はアンドロイドなんじゃないのか?」と疑い人間かアンドロイドかを識別する為の検査「フォークト=カンプフ検査」を自らに施す様な感じといいますか。

 

 「定型発達者(ざっくりと言うと普通の人)」は上記4種の指標が平均以上で、あまり「凸凹していない」「非定型発達者」の場合だと、4種の指標がとても凸凹していて(開きがある)その結果、「普通の人(あくまでも括弧付け)」と比べて生きづらさを抱える事になるんだろうと思います。

 

 私の場合、ワーキングメモリーと処理速度の差が開いている事が、日常生活や仕事において問題が起こる原因になっているのではないかと説明されました。

 

 続いて行った「AQ-Jテスト(自閉症スペクトラム指標検査)」ですが、結果としては「ギリ該当する」となりました😅

 

 このAQ-Jテスト、あくまでも受験者が本人の主観に即して行う為、客観性という観点からすると弱く、あくまでもこの先どうすればいいのかを知る為の目安の意味合いが強く、正式な診断では無いとのこと。

 

 うーむ、なんとも煮え切らない感じです(^^ゞ

 

 WURS(ウェンダーユタ評価尺度)という「幼少期ADHDだったかを見る検査」では

該当していて、どうも幼少期のADHDって大人になって社会性が身につくと減少する事が多いそうな。

 

 ASDに関しては「確定診断」なるものを受けないと正式な診断にはならない模様。

 

 ASDにしろADHDにしろ、親からの遺伝の可能性もあれば、そうでない事もあるので結局は個人差の問題らしくやはりここでも煮え切らない。

 

 自分がASDなのかはっきりして欲しいという考え方たぶんこれって「認知の歪み」の「0か100か思考」ですね。

 

 確定診断では無いけど、私はいわゆる「発達障害グレー」なんだと。

 

 でも、AQ-Jテストを受けてみて感じた事は、対人関係で失敗して来た過去の事例が

すべて「伏線」の様に回収された感じがします。

 

 私は対人関係において、コミュニケーション能力に問題があって

「人の目を見て話せない、話しづらい」

「相手の感情が読めないから騙される」

「思いやり(他者に共感する能力)が書けている」

「言外の意味(「察する」というやつ)に気づけない」

「自分では無自覚に相手を怒らせてしまって、怒らせた理由が分からない」

「挙動がおかしいから、それを見た他人が自分をイジメたりする」

 等の経験があるので、その過去の経験を踏まえると自分では納得はしているんですよね。

 

 問題はここからで、この先どうやって生きていけば

いいのかという事なのですが…😅

 

 人が社会で生きて行く上で、最も重要な「コミュニケーション能力」が私には足りなくて、この能力の凸凹は変わる事が無くそのままなので、仮にまた社会人をやり直してもまた対人関係で無自覚にやらかすか、または私の挙動がおかしい(ASDには独特の挙動がある)為に、過去にイジメやいじりを受けているので、またそれが繰り返される

のは火を見るよりも明らかなんですよねー(-_-;)

 

 そして、日本という国はマイノリティを「異物」として排除する国民性なので、就ける仕事の種類が限定されてしまうんですよ。

 

 「パターン化されていて」「対人関係がほぼ無い決まりきった仕事」が私には適性があると思っていて、以前就いていた仕事が設備点検の仕事だったのですが、対人関係はあったけどあまり職場環境が良くなかった為、人が辞めまくって人が頻繁に入れ替わった事が功を奏して対人関係がまずくならなかった。

 

 だから、10年近くその会社で働き続ける事が出来たけど辞める数年前から人が固定されて来て、その中に私の挙動が客観的に見ておかしい事に気づいた職場の同僚に「擬態(定型発達者を装うふるまいの事、マスキングとも言う)」がバレて結果「捕食(イジメられたり騙されたり)された」と分析しています。

 

 なので、人付き合いのある正社員として働くとボロが出るので、ウーバーイーツの様な「ギグワーク」かネットだけで完結出来る仕事を探すしか無いんじゃないかと考えています。

 

 自分がASDだと自覚する前は、

「あ~、なんでこんなに生きづらいんだ~、私の何が悪いんだよ~😭」

等とのたうち回り過去の嫌な思い出や、失敗を何度も思い出し(反芻思考)

「あの時別の選択をしていれば、こんな事にはならなかったのに~」

と、本当に毎日(!)自分で勝手にそんな事を頼まれもしないのに繰り返していましたが、自覚した今は「過去に傷ついた経験や失敗は自分の非定型発達(幼少期ならADHDも含む)が原因の大半で、しかも不全感は自分が定型発達者だという誤解の上にそう感じていた」事が分かる。

 

 そういった事が分かり、「解毒」が開始されたので、過去を悔んだり思い出したり

する事はもうほぼ無くなりました。

 

 自分が非定型発達者(推定)なのを自覚した現在は「いや、待てよ、確かに私は生きづらさを抱えているし、それはこの先も変わらないだろうでも、そもそも定型発達者ってまともだったか?全員では無いけど彼等彼女らは私に対して結構ヒドイ事をして来たし、彼等彼女等の人生が別に羨ましくて、私もああなりたいとは思っていないじゃないか!」って。

 

 「すっぱい葡萄」の寓話では無く、私は本当に心の底から

定型発達者の人生が羨ましくもなんともないんですよねー😑孤独が苦にならず、むしろ一番落ち着きますし…😆

ja.wikipedia.org

 

 こういう考えって、非定型発達者独特の物だから定型発達者には到底理解出来ないで「おかしい人」と受け止められちゃうんでしょうね…(-_-;)

 

 とにかく、自分が何者かは分かったので

「自分がどう生きたいか、その為に自分がどうすればいいのか」

の道筋が立ったとは思っています。

 

 多分目指しているのは「セミリタイア者」です😆