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ASD自覚者(確定診断未実施)が、映画や漫画等の感想を書いてます

「加齢・嘘・空虚」そしていつもの「孤独」 作者:をのひなお「アシカノ」第6章「What a Wonderful World」感想

 「明日、私は誰かのカノジョ」第6章「What a Wonderful World」の感想です。

 

 収録されている単行本はこちら👇

 

<感想>

 40代のソープ嬢菜々美さんが、ソープランドで働いていたけど父が亡くなった事で地元に戻り高齢の母親と暮らす事になり、就職活動をする。

 

 ここで彼女は履歴書を嘘で塗り固め、8社ほど受けたのちなんとか清掃会社に就職するけどナイトワーカーだった事と、いままでした事が無い仕事である事の不慣れが原因で彼女はやらかした結果「飛んでしまう(会社に伝えもせずバックレる)」

 

 それと彼女、いわゆる「スピリチュアルにハマる女」で「引き寄せの法則」なんかをガチで信じていてネットの有料占いサービスに百万円以上突っ込んでいる。

 

 占いという「嘘」にハマった原因が、若い頃キャバ嬢をしていたけど加齢と共に人気が無くなり、仕方なくソープの仕事に就く。そこで彼女は結構稼げる事がわかってしまい「What a Wonderful World(なんて素晴らしいんだ)」と短絡してしまう。

 

 でも彼女、空しさを感じていて岡崎京子先生の漫画「pink」にも描かれていましたけど風俗で金を稼いで買い物をして消費していても空しい。

 

 「あー死にたい」等と、鬱っぽくなって心が弱くなっていたところに、占いの看板が見えて彼女は文字通り「引き寄せられて」しまう。そして占われて、彼女はその占いが当たってしまったと勘違いする(確証バイアス)そこからスピにハマって現在にいたり、彼女はとにかく笑顔を心掛ける。

 

 たとえ泣きたい時でも笑顔になろうとするのは自分に嘘をついている事なので、彼女は自分が分からなくなるんだけど自覚がない。

 

 地元で昔の友達に会い旧交を温めるも、相手は結婚して子供がいて、菜々美は疎外感を感じる。

 

 ナイトワーカー歴が長すぎた事が原因で昼間の仕事が無理と判断した彼女はスナックに勤める。そこに来た客がなんと旧友の夫でとっても気まずくここらへんの展開はコメディっぽいですね。

 

 いままでしてきた仕事の経験上、年上と会話するのは心得て来たけど、旧友の夫が連れて来た若い男との会話の仕方が分からず、彼女はとまどう。おそらくそこを目ざとく見つけたその若者につけ込まれて彼女は一夜を共にするけど、実はそいつは結婚する予定で、菜々美は遊ばれていた。

 

 嘘をつかれていたんですね。キャバ嬢やソープで働いていた時とは逆で自分が年下にもてあそばれたんですね。

 

 旧友が相談に来て「旦那が浮気しているみたいなのよ」と相談にくるけど彼女は嘘をつき、結局はそれがバレてどうしようも無くなる。

 

 その前にスナックでやらかしてメンタルが下がっていた事もあってようやく彼女は「泣く事が出来た」走る彼女の背景が夜明けになっているのは、彼女が実はやっと自分がどういう状況になっているのかを自覚したという事を表現している。

 

 とにかく関係者に謝って話し合い、彼女は許してもらえて、ここで「What a Wonderful World」が違う意味を持って来て彼女はなんとか踏みとどまる。

 

<家族との関係性>

 ここで、彼女とその家族との関係性ですが菜々美は元々バンドにハマっていて、いわゆる「バンギャ」だったけど、将来の事で父親と揉めて家出、勘当されそこから彼女はナイトワーカーになり、実家に戻るんだけど自分の部屋が物置にされず、そのまま残してくれていた(ちなみに私の部屋は物置にされていました😅)

 

 父親は勘当したとか言っていたけど娘の事を気にかけていたんですね。でも、物語中盤で母が「あんた、なんで帰って来たの?」と言われ、ここで私は「ヒッ!」と声を出しちゃいました😱この漫画がサイコスリラーであるのをすっかり忘れてましたね(^^ゞ

 

 実は菜々美母は、夫が嫌いで菜々美に「あんたは何もわかっていない」と言うように、おそらく母は結婚というものをしたくは無かったんだけど、生きる為に仕方なく結婚したのではないかと推測します。

 

 「私は老人ホームに行くからあなたは好きにしなさい」と突き放し、菜々美を捨てる様な行動をしたのは菜々美母は本当は一人で生きるのが向いている人だからなんでしょう。でも、最後の食事のシーンでもわかるとおり娘である菜々美を決して愛していない訳では無いのは「フード理論」で考えるとわかる。愛していないなら、自分だけもしくは菜々美だけに食事をさせるので、ふたり一緒に食事をしているから愛情はある。

 

 菜々美が昔東京で、本当はどんな仕事をしていたのかを途中で遮るのも、実は何もかも知っていてそれでも何も言わなかった。最後の食事はある意味「別れの盃」

 

 そして母は、老人ホームに行く前に身辺整理を済ませて最後、家を出ていく時に幼い頃の菜々美が写った写真立てを鞄にしまうのは、子供の頃の菜々美が好きだけど、セックスワーカーになった菜々美には失望している。別れざるを得なかったんですね。

 

 そして菜々美は実家を引き払い、アパートを借りて心機一転暮らし始める。腕に時計をつけているのをさり気なく描写しているのは決められた時間を守り始めたという事とある意味で止まっていた彼女の時間が動き始めた証。

 

<「アイリッシュマン」との類似点>

 たぶん今回の話って、ロバート・デニーロ主演、マーティン・スコセッシ監督の映画「アイリッシュマン」に近いんテイストなんじゃないかと思うんですよ。

 

2ki3suke.com

 

 「アイリッシュマン」は、主人公が自分で考えず周りに流されて行動した結果、自分が大切にしていた人を自らの手で殺めたり、失ったりするというのが要点だと思っていて。

 

 第6章の菜々美の行動とその結果を抽出すると考えも無しに家出をし、ナイトワーカーで働くことで結構なお金が手に入り消費や占いにハマり、加齢と共に人気が衰えても職種を変える事で「まだイケる」と思ってしまい流されるままに生きた結果「大切な物(有意義な自分の人生の若い時間)」を自分でスポイルしてしまったという点が非常にアイリッシュマンと似通う点があると思っています。

 

<菜々美さんに見られる若干のASDまたはADHD描写>

 私は心理学者でもなんでも無いですが、菜々美さん若干ASD、もしくはADHD入っているんじゃないかと思ってて、彼女の部屋が少しゴミが多くてあまり片付けられていないんですよね。

 

 それと、夜の仕事から昼の仕事に変わったせいもあるんでしょうけど清掃の仕事をしている時に彼女、床に張り付いたガムの除去に異様にこだわっていたり、時間を守れずにいたり。

 

 スナックで働いている時も、会話の仕方が通りいっぺんの物で、女性のASDに見られる「他人の行動をエミュレートする」という振る舞いの仕方を聞いた事があるので、その辺が気になりました。

 

<次章への引きの上手さ>

 なんとか事態が収束して、旧友と東京で久しぶりにバンドのライブに参加して、彼女は目の前で自分以上に歳を取ったバンドが現役で頑張っているのを見て愕然とする。

 

 それはつまり、そのバンドは数十年も同じ事を自ら望んで続けて来ていて「あたし、いままでいったい何をやっていたんだろう」って打ちのめされて涙を流すけど、旧友は菜々美が感動したと勘違いする。

 

 「これでいいいんだ」から「いや、これ”が”いいんだ」と彼女、周りに流されてこいう状況になったとせずに現状を自分が選択した結果だと受け入れたという「諦観」

 

 空を見上げるけど別に星がまぶしく瞬いている訳でもなく(東京空気汚いですからね)彼女の人生はもちろんこれからも続いて行くけど、その先は特に明示しないアシカノ的な終わり方。

 

 で、最後プチ同窓会みたいな物が開かれてそこにいた参加者の正体がなんと第1章「killing me softly」の主人公「雪」の母親!そして最終章「No Woman No Cry」に続くという絶妙な引き!

 

 余りにも話の運びが上手すぎて私、呆然としています。

 

 やっぱりせめて、雪には最後幸せになって欲しいけどアシカノなのでそういう最後にはならないんでしょうね😑