Disney+をせっかく利用しているので、ディズニーらしい映画でも観てみようと思ったのと、この映画の監督が「ア・ゴースト・ストーリー」のデヴィット・ロウリーだったのが気になったので視聴しました。
👇この映画に関してはいつか記事にアップしますね。
まず、前提として私はピーターパンをよく知らなくて、子供の頃に見たっきりのにわか、だからこの映画がどれだけオリジナルに準拠しているのかは分からない状態という事をご承知おきください。
<解説>
この映画は、1953年の映画「ピーター・パン」の実写化ですが、原作となった「ピーター・パンとウェンディ」にタイトルを寄せて来ているので、この映画は「ピーター・パン」「ウェンディ」そして「フック(ジェームズ)」に焦点を当てて描いていると思うので、彼らが映画内でどういう役割をしているのかを解説していきます。
<ウェンディ>
正直言ってこの映画の主役です。彼女がいちばんこの映画で「行きて帰りし物語」を体現している存在で、彼女は最初大人になるのを嫌がっていて、2人の弟とまだごっこ遊びをする。女優のエヴァー・アンダーソンですが、誰かに似ていると思ったら母親がミラ・ジョボビッチなんですね。で、彼女撮影中の年齢が13歳くらいなんだけど、身長が160㎝あるのでちょっといい歳した娘さんがごっこ遊びしている様に見えてしまうので、違和感があるけど大人と子供の境目にいる存在で、物語は彼女が明日寄宿学校に行く前夜で大人になるのが不安に感じている。
そこでピーターパンが登場して来てウェンディ達をネバーランドに連れて行く。途中時計塔を通過するのは時を止めるメタ的表現。
ネバーランドに行き、しばしの間楽しむけど「思っていたのと違う」と彼女は考える。本人は気づいてないけど、彼女はそこにいるロストボーイズに母から聞かされた子守唄を唄ってあげたりして、実はもう大人になろうとしている。フックに囚われて船から落とされそうになるけど、この映画はPG(parental guidance suggested)なのでもちろん彼女は死なない(我ながら冷めた見方だな)けど、ここはいわゆる「信仰の跳躍(Leap of Faith)」という、映画ではよくあるシーンで思い切って跳ぶ事で事態が打開されるという表現で、彼女は「楽しい考えを」して大人になった将来の自分をポジティブに想像し、ティンカーベルの助けもあって逆襲に転じる。
ピーター・パンに連れられる前に彼女は目を閉じていて、家に戻った時にはベッドの上で目を覚ましているので、もちろんこれは彼女が夢を見ていただけだったという描写だけどその夢の中で彼女は冒険し、以前とはまったく違った存在になって帰って来るというのが彼女のお話。
<ピーター・パンとフック>
ピーター・パンは子供時代そのものの象徴で、だからこそ身勝手なふるまいをするんだけど、彼が空を飛べるのは自分の力では無く、ティンカーベルの妖精の粉で飛んでいるのでそれ以外はただの剣の腕が立つ子供でしかない。
フックは「子供から見た親以外の大人」や「間違ってしまった大人」の象徴で、だからこそ大人になりたくないウェンディ(観客の子供達)から見たら悪役である。なんと彼は昔子供だったけど(当たり前か)ピーター・パンによってネバーランドから追い出され、なりたくもないのに大人になってしまった。彼には本名があって「ジェームズ」というのだけど、彼はそれを呼ばれるのがとても嫌。ウェンディの弟が時計を持っているのを見て逆上して壊すのは、時間が経過するのを認めたくないから。
右腕をピーター・パンによって斬り落とされた事もあってピーターを深く恨んでいるけど、最後の対決でピーター・パンがフックの事をジェームズと呼んで謝る。ここで、子供でしかなかったピーター・パンが自分のした事を反省して謝り、ジェームズは本名を言われ、謝罪された事に混乱し船から落ちそうになりピーター・パンに右腕のフックを掴まれ「楽しい考えを」する様に言われるけど、彼は「大人である事に失敗してしまっている」ので、楽しい考えは浮かばずに海に落ちていく(もちろんこれはディズニー作品なので後で助かっているのが描写される)
この映画のあと、ピーター・パンとフックも物語の始まる時とはやはり別の存在になって、ネバーランドで戯れ続けるんでしょうね。
この映画のメッセージとしては「大人になる事ってそんなに悪い事じゃないよ、悲観的にならないでね」って事だと思います。
最後、元の世界に戻って来たウェンディとピーター・パンだけど、ここでなんとピーター・パンが自分がおとぎ話の存在である事を自覚し、過去何度も現世に来てレンガに自分の名前を刻んでいる事を告げる。おとぎ話の上でしか無い自分の存在を、現世に刻み込みたいんですね。ラスト、ウェンディがピーター・パンの名前に自分の名前を追加してタイトルが回収され、エンドロールで時計の針が進んでいて映画は終わる。
<監督のモチーフ>
監督のデヴィット・ロウリーは「ア・ゴースト・ストーリー」でも「時間」と「癒し」に言及していたので、私はそこにこの映画の共通点を見出していて、フックがジェームズという本名で呼ばれる事でおそらく自分を取り戻し「癒された」という点でも共通のモチーフがあると考えています。
<あのティンカーベルはやっぱりポリコレなのか?>
気になった点としては、触れざるを得ない話題だと思いますが、やっぱりティンカーベルが黒人であるのはたしかに違和感を感じました。たぶんより多くの人や人種に見てもらう際の配慮だと思いますが、やはりどうなのかなとしか言いようがないですね。
youtubeチャンネルの「BrooklynTokyo」という黒人の方も違和感を表明しているので、ここはやはりちょっと行き過ぎなんでしょうね👇
子供向けに作られているので、当たり前ですが解析は簡単でした。そしてやっぱり私はディズニー作品とは距離を取りたくなりましたね。観ていて糖尿病になりそうな甘ったるさが好きになれないです。
Disney+なら「マンダロリアン」を観ましょう!(ヒドイ終わり方w)