言語化出来ない感動を呼ぶ、一風変わったファンタジー映画の解説をします。
監督:デヴィット・ロウリー
主演:ケイシー・アフレック
<あらすじ>
自動車事故で帰らぬ人となった「C(ケイシー・アフレック)」は、幽霊となり未亡人となった妻の「M(ルーニー・マーラ)」に会いに行く。
<解説>
まず、私はこの映画の監督であるデヴィット・ロウリーの作品を観賞するのはこれが初めてなので、彼の過去作から彼の作家性を考慮に入れて視聴は出来ないので、少なくともこの映画を2回最初から最後まで視聴しました。
この映画にある要素としては「幽霊が出る」「自分が住んでいた家と妻に未練を残している」「幽霊同士はお互いが見える」「時間を移動する」「夫婦の別離」「家の記憶」「多視座」等があって、そこからこの映画の言わんとしている事を読み解いてみます。
冒頭夫婦が一緒に寝ていると、家の中で異音がするけどそれがなんなのかはわからない。妻である「M」は、家を購入した時に前の住人が置いて行ったピアノが好きでは無く、夫である「C」がせっかくそのピアノを調律したのにも関わらずそれを捨てる。
そして、Cは家のすぐ近くで交通事故に遭い帰らぬ人となる。ちなみに、カメラによる画面のサイズが普通の映画と比べて小さかったり、家のすぐ近くで交通事故とか変じゃないかと思われますが、おそらくそれは制作費が1000万円という予算の関係だと思います。
病院でMはCの死亡を確認し、カメラはシーツに包まれたCの遺体を映す。すると突然シーツが動き出し、Cが幽霊となって現世に現れる。病院の中をうろつきまわるけど、幽霊なので誰も彼に気づく事は無い。妻のいる家に戻るC。そこで夫を亡くして悲嘆に暮れるMが居るけど、彼女は時間の経過と共に持ち直し前に進もうとしているのが分かる。ここで時間が経過するシーンの表現が面白くて、幽霊であるCには彼女が家から出かけるシーンをパターンを変えて何度も再生されていく様に映る。幽霊になったので、我々人間とは時間に対する感覚が違うという描写。
そもそも彼が幽霊になったのは、妻であるMを残して死んでしまった事と、自分でも知らないうちにその家に執着がある事が原因で、現世にそういう執着がなければ幽霊にはならないんですね。ここの「家に執着がある」点ですが、日本の座敷童みたいです。
隣の家にも幽霊が居るのを見つけ、コミュニケーションを取るC。相手はなにやら家で誰かを待っている模様だけど、その誰かが分からない様で記憶が薄れているのかも。
で、夫を亡くした後、妻は男性と付き合い始めている様で、それを見たCは幽霊なのに嫉妬に狂い家の中を荒らす。夫に比べてMは住んでいる家があまり好きでは無かったので、引っ越してしまう。ここでCにとっての執着が一つ消えてしまうけど、Mは家の柱の隙間にメモを残す。「いつか戻った時昔の私に会える」とかつて妻が言っていたので、Cはそのメモを取ろうとして結構必死になる。
そこで家の時間が進んで、子供が2人いるシングルマザーらしき家族がその家で団らんしているのを追い出した後、いったん空き家になり、今度はそこでパーティーが開かれていて、ある男がなんかベートーヴェンの第9(歓喜の歌)と共に長い講釈を垂れているシーンで、Cはそれに反応してライトを明滅させる。幽霊と言うよりポルターガイストみたいな感じで。
ここでおそらくCは、家や妻に執着していたけど、その講釈を聞く事で個人という視座からもっと俯瞰した視座を獲得し癒されたのだと思います。Mが残したメモを取ろうと必死になるC、だけど家の取り壊しが始まり、メモも無くなってしまう。「お隣さん」の家も壊され、隣の幽霊は執着が無くなった為に「成仏」する。
時代がさらに経過して、かつてCがいた区画が超高層ビルになり、Cは幽霊なのに絶望したのかなんと飛び降り自殺を敢行!
「え、これどうなっちゃうの?」
と思ったら、今度はかなり過去に遡り、家が建てられる前の西部開拓時代に「タイムスリップする(この映画の舞台はアメリカのダラス)」
そこでは夫と妻と3人の娘の家族が家を建てようと暮らしているが、おそらくネイティブアメリカンの襲撃で殺されてしまい、その前に娘の一人が岩の下にメモを残している。その娘の死体が死後腐り骸骨になるのを見るC。ここでCは生き物が生まれて死んでいく経過を目の当たりにし、長講釈を垂れていた男の話を実際に経験する。
そしてまた時代は現代に移り、Cがまだ生存していて妻とあの家に住んでいる冒頭のシーンに戻る。家の中の異音の正体は幽霊となったCが起こした物で、幽霊となってタイムスリップしている為にその時まだ生存しているCと幽霊のCとは接触せずに、いわゆる「タイムパラドックス」は起こらない。
さらにここから表現が変わっていて、生存している時のCとMの夫婦を幽霊となったCが見ていて、それをさらにタイムスリップして来たCが見るという「2重に自分を客観視」して、それをさらに映画の観客である我々が観ているという「多視座」の構造になっている。「この家には歴史がある」とCが言うのは、幽霊となったCとつながっていないと言えない台詞でやっぱりなんというか言語化出来ない不思議な感覚があります。
そして最後、Cはついに妻が残したメモを取る事が出来、そのメモを開いた瞬間彼は納得したのか「成仏」する。観客にはメモに何が書かれていたのかは分からないが、それが逆にこの映画を豊かにしているのかも知れません。
観ていると日本的な幽霊の話の様でもあり、タイムスリップによる多視座獲得の話でもあり、不思議な言語化出来ない感動を呼び起こす映画でした、おススメです!