フォレスト・タッカーという、実在の強盗犯であり脱獄犯を主人公にしたロバート・レッドフォード主演のコメディ映画の感想です。
監督:デヴィット・ロウリー
主演:ロバート・レッドフォード
<あらすじ>
刑事ジョン(ケイシー・アフレック)は銀行強盗事件を担当する事になるのだが、その容疑者の手口は決して相手を殺傷せず、とても紳士的であった。調べていくうちにその容疑者は2年間で93件も強盗をしている事が判明する。
<感想>
たぶんこの映画は観る者の年齢を選ぶといいますか、アラフィフの私にはまだちょっと早かった様に感じました。映画としてはすごく渋いオフビートコメディだと思っていて、主人公のフォレスト・タッカー(ロバート・レッドフォード)は手練れの銀行強盗だけど、メタ的に見る必要がある。
この映画の要素を抽出してみると、まず主演のロバート・レッドフォードが本作を持って引退する事を明言している点と、監督が「ア・ゴースト・ストーリー」や「ピーター・パン&ウェンディ」のデヴィット・ロウリーである点、刑事のハントが40歳になって憂鬱になっている点があると思っています。
で、上記の要素を考慮に入れてこの映画を解析してみると、主人公のフォレストの強盗人生と演じているロバート・レッドフォードの人生が重なり、追う側の刑事フォレストは自分が歳を取って不貞腐れているけど、強盗をするフォレストを追う内に彼の事を知り、自分よりも高齢なフォレストが生き生きとしているのを見て感化されていく。
刑事のジョン・ハント(ケイシー・アフレック、ちなみに名前にの「ハント」は英語で「追跡」の意あり)が息子と銀行に行って「自分の好きなことをしなさい」と教え諭すシーンでフォレストが仲間と一緒に銀行強盗をする事からも、フォレストにとっては銀行強盗と警察に追跡される事、刑務所に入ってそこから脱獄や脱走をする事も込みで「自分の好きなことをしている」というロバート・レッドフォードの俳優人生を表していて、つまり「生きがい」のメタファー。
過去の回想で、警察に追われるフォレストが車で逃走中に文字通り「道を外れる(邦題のアウトローはおそらくここから来ている)」シーンで、車の後部トランクが開いてしまい盗んだお金が風で舞ってしまっても、フォレストはそんな事は意に介さず車を飛ばすところからも金の為にやっているのでは無いのがわかり、上記のメタ的視点で見ると憎たらしいくらいカッコイイ!
そして「トイレのシーン」ですが、映画でトイレが出て来るというのは通常では無い描写なので、ただハントがトイレをすませるとかではなく、ハントを目撃したフォレストはからかい半分でハントに近づくけど、フォレストに感化されてある意味で同じになったハントはフォレストの名を口にして「お前を俺は知っているぞ」と、相手を突き止めた事を告げるけど、何故かハントはフォレストを逮捕しない。トイレにある鏡を映すのは、ふたりが鏡像関係にある証拠でフォレストを捕まえてしまうと彼を追う事が出来なくなり「生きがい」が無くなってしまうから。
未亡人ジュエル(シシー・スペイセク、名前が「宝石」とかふざけてるw)と恋に落ちたりするけど、フォレストはなによりも強盗が好きなので結局は捕まる。捕まる時にフォレストは車の代わりにジュエルから盗んだ(オイ!)馬で逃げるところは西部劇っぽく、彼の過去に主演したアメリカンニューシネマ「明日に向かって撃て!」を彷彿とさせて、ロバート・レッドフォードがこの映画の製作にも関わっている事もあって映画がなんというか自己言及的になっている。
その証拠に、ジュエルとの会話で「自分の人生に納得出来るか?」と話していて、この映画が彼にとっての最後の「銀行強盗」であることも手伝って、とってもメタ的になっていて、だからこそなんでしょうか映画のジャンルがコメディになっているのは。
ジュエルに説得されて彼は刑務所からの脱走をやめてきちんと服役する。その前のジュエルとの会話で懐から「いままで脱走と脱獄をして来たリスト」なるものを後生大事に取って置いておくとか、すごく子供っぽいというか無邪気と言うか。
刑事のハントがフォレストを追って彼の家族に会う際に、その家族の母親がフォレストとつきあっていたが、娘はフォレストをけっして良くは思っていないけど、母はそれでも彼の事が好きだったとか言うのは、なんというかこの雰囲気と言うか表現の仕方ってクリント・イーストウッドの「運び屋」に似ているんですよね。
イーストウッドの場合だと、自身のプライベートのやらかしもあって全体的に謝罪する映画になっていますが、レッドフォードはそんなことは無くて、私の知る限りだとプライベートでのやらかしが無いからなのか終始映画はオフビートな笑いで進行する。
<デヴィット・ロウリーのテーマ>
この記事を書いている時点で私が観たデヴィット・ロウリーの映画は「ア・ゴースト・ストーリー」と「ピーター・パン&ウェンディ」と本作ですが、共通するテーマはおそらく「時間」が関連していると思っていて、なんか難しい言葉でいうと「永遠の相」という用語があるらしく、意味は「 万物を永遠の神の自己表現として、神によって必然的に定められた現れとして直観することをさす」というものだそうで、ジュエル宅の壁に書かれていた100年前の住人の署名とか見ても、俯瞰視点で人間の営みを見ているんですよね。
<人生を楽しみきり、満足した男>
刑務所で脱走することも無く刑期を終えて出所するも、また強盗したい気持ちがムクムクと湧き上がり、ナレーションで「このあと彼は4件の強盗をした」と表示され、最後の最後まで「自分の好きなことをする」という俳優人生を楽しんだレッドフォードは見ていて本当に憎たらしいほど魅力的で、おそらく観客が老境に差し掛かれば掛かるほどこの映画は輝いて見えるんでしょうね。
チーン!😆🛎️