ダコタ・ファニング主演で送る、成人している女性発達障害者の冒険を描いた映画を解説します。映画の原題は「Please Stand By」で、スタートレックで頻繁に出て来る台詞。
監督:ベン・リューイン
主演:ダコタ・ファニング
<あらすじ>
「スタートレック」の知識に関しては誰にも負けないウェンディ(ダコタ・ファニング)は、スタートレックの脚本コンテストに応募しようとするが、締め切りを逃してしまう。彼女はカリフォルニア州にあるパラマウントピクチャーズに直接脚本を届る為旅をする。
<解説>
自分がASD(自閉症スペクトラム障害)であるのを先月自覚したのですが、そこから主人公がASDの映画を観始める事でASDを客観視出来る様になったり、関連書籍を読む事で男性と女性でASDに性差があるという認識を得る事が出来ました。
自分のASDを自覚する前に視聴した映画「こちらあみ子」に関しては、正直監督の表現方法と考え方に問題があると今では思っていて、あみ子はASDだけでは無くADHD(注意欠陥多動性障害)を併発していると推測しています。
自覚後に視聴した「ファンタスティック・ビースト」と「ザ・コンサルタント」は、共に主人公が男性で、ASD特有の挙動や言動を主観視点では無く客観視点で見る事が出来ました。
こちらの本では、男性と女性のASDの共通する部分と性差による違いが書かれていて大変参考になりました。
今作の主人公は、女性の自閉症スペクトラム障害者ですが「グレー」では無いのが特徴で「かなり色が濃い」んですよ。そして彼女は成人していて発達障害の自覚が有り、親族や支援者がサポートしてくれて自立支援所にいるところがあみ子と大きく違っています。
おそらくASDの啓蒙映画的な側面があると思っていて、発達障害は個人差がある障害で人によって「凸凹が違う」のですが、映画の中で描かれる彼女のASD描写をいくつか列挙してみますと
・アイコンタクトの維持が困難
・衣類を意識して着替えないといつまでもその服を着ていて不潔になってしまう
・女性の生理現象を自覚出来ない
・笑顔や声の抑揚を意識して作らないといけない
・人間以外の生物への強い関心(犬を飼っている)
・名前と場所を覚えるのが困難
・一つの事(この映画では編み物と「スタートレック」)に対する高い集中力を示す
・自分の感情に圧倒される
・人に触れられるのを嫌がる
等が描写され、物語においての伏線にもなっています。
彼女は売り渡されそうになっている実家を取り戻すお金を得る為に、自分で書いたスタートレックの脚本をカリフォルニアまで直接届けに行くのがおおまかな話の流れなのですが、観ていてハラハラするくらいウェンディは追い込まれます。これは制作者が意地悪をしている訳では無くて「主人公を追い詰める事で話の推進力を高める」という脚本の方法なので、あまり深刻にならずに観てください。
彼女はスタートレックの登場人物「ミスター・スポック」が感情を持て余している点に自分との共通点を見出しているからスタートレックにハマったんでしょうね。旅の途中彼女は結構ヒドイ目に会いもしますが、人の善意やスタートレックに出て来る宇宙人種族の使用する「クリンゴン語」に助けられます(ここらへんは実際に映画を観て確認してください)。
無事に脚本は届けられますが、こういう映画であればコンテストに入賞したりしてハッピーエンドになるのかと思いきや、そうはならないんですね。それは何故かというとこの映画の最後で彼女に訪れた「変化(成長では無い)」こそがいちばん重要で、それを達成する為の冒険だった事が分かります。
コンテストの結果が書かれた手紙には「どうか物語を続けてください」とあって、それは彼女の人生という「物語」を続けて欲しい、つまり生きていて欲しいという同じ障害を抱えている人へのメッセージになっているんですね。
この映画の気になった点としては、彼女の「変化」がリアリティライン的には不自然かも知れなくて、彼女の障害は一生付き合っていくものだから、あそこをどう観客が受け止めるかですかね。
それとおそらく興行的な面を考慮に入れたキャスティングだと思っているのですが、主人公のウェンディ役をダコタ・ファニングが演じるのはルッキズムだと思って若干違和感がありましたね。映画「アイ・アム・サム」で父親が知的障害者の娘役を演じているからそれの絡みもあったのかとは思いますが、あれだけ容姿に優れていると、役の上で彼女は性的搾取の対象になりやすいと思われるので、そこらへんだけ観ていてビクビクしました。
「こちらあみ子」を観て、本人に自覚の無い発達障害者が見世物にされていると感じていたので、この映画が公開されたのはあみ子よりも前ですが、その違和感に対するアンサーの様に感じました。
長寿と繁栄を🖖(←まさかこの絵文字があるとは!)