漫画家の沖田×華さんが、自身の中学生までの壮絶な体験を元に描いた漫画の感想です。
<感想>
この漫画を読むまでは、私の沖田さんに対するイメージは漫画「不浄を拭うひと」の作者さんというものでしか無かったのですが
この漫画はそういったイメージからは離れていましたね。Wikipediaで知ったのですが、沖田さんは学習障害と注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群も持っていて、学生時代には本人も親も学校の同級生や先生もその事を理解していないのと、学校というものが半ば閉鎖空間である事と学校の先生という存在が聖職者として扱われている事が相まって彼女は壮絶ないじめを受けます。
沖田さんの現在の年齢から逆算するとちょうど日本がバブルに突入した時代で、まだ昭和だから学校というものが人によっては地獄になってしまうのは、私が彼女より少し年上なのもあるのでそこらへんは良く分かります。
現在の学校がどういった状況にあるのか分かりませんが、昭和の学校って体罰上等だしみんなもそれを教育と受け止めてしまっていた野蛮な場所だったんですよね。でもそこら辺を差っ引いても沖田さんが受けた体罰はハッキリ言って度を越していて、小学校の担任の平田という先生は彼女を殴る蹴るの暴行をするのですが、先生なんだから彼女が普通と違うのは分かりそうなものなのに、ただただ暴力を振るう事しかしない。さらに胸糞悪いのは、こいつは他の先生が見ている所では沖田さんをいじめなくて、やっぱり学校って嫌な所だったんだなと思い出しちゃいましたね。
その後沖田さんは中学生になって近藤という、また男性の先生が担任になるのですが、コイツがとんでもないサイコ野郎で、生徒に対する態度が出来不出来で全然変わったりして、当然沖田さんは発達障害なのでまたそこでいじめられて、さらに胸糞の悪い事に他の人が見えない場所に彼女を閉じ込めてなんとセクハラをするんです。
ここで沖田さんは男性恐怖症になってしまうのですが、近藤は他の生徒をいじめていた事がバレて「飛ばされ(クビにはならない!)」代わりの先生がやって来るのですが、またしても男の先生なんですよね。川平先生と言う体の大きい人で、最初沖田さんは怖がるのですが、この先生は沖田さんにヒドイ事をせず、彼女が抱いていた先生と男性に対する恐怖症も解消されて、さらに先生は沖田さんのメンターになりなんとか地獄を脱出する。
あとがきがファンタジックで、大人になった沖田さんが昔の自分に会いに来て
「あの時飛び降りないでくれてありがとう」
って感謝する。ちなみにですが平田と近藤はその後も先生を辞めさせられる事無く、それどころか偉くなって校長になっていたりしているんだそうな。
そしてこの漫画を読んで、またしても気づかされたのですが、まったく同じという訳ではありませんが私が同級生から受けた仕打ちと似た様な目に彼女が遭っているので、やっぱり私は発達障害者なのだと認識を深める事になりました。
さらに嫌な事に気づいてしまったのですが、どうやら両親は幼少期の私の挙動や言動が普通の子供と違っているのに気づいていた筈なのに、精神科や支援してくれる様な施設に私を連れて行ったりせず、サポートを受けさせなかったのが分かって来てしまったんですよね。おそらく世間体の為に私をそういった所に行かせたく無くて普通の学校に行かせたのだと分析しています。
私が父親に
「こうして欲しい」
とか
「こういう事はしないで欲しい」
と私が要求しても父はまったく聞き入れず、それとは逆に私が嫌がる行動をして私を困らせて、私の顔が苦痛で歪むのを楽しんでいたサディストだったのだとも気づかされたんですよね。
昔は発達障害という概念が無かったにしろ、まだ地域社会が今ほど崩壊していなかったのだから少しは私も包摂されても良かったのではないかなと思いました。当事者は主観でしか世界を見る事が出来ないのだから、近親者が私を保護し包摂したり気づきを与えてくれなかったのはあんまりでは無いのでしょうか?
私の場合、自閉症スペクトラム障害に加えて幼少期に注意欠陥多動性障害があったみたいで、それは成長にするに従いその傾向は減少していったのですが、この漫画を読んで子供時代の自分がADHD傾向が強かったのだとアラフィフの今頃になって気づき
「なんで誰も教えてくれなかったんだろう」
と呆然というか虚無というか、何とも言えない感覚に陥りましたが感情が鈍麻しているもので、激情に駆られたりはしないんですよね。