にきさんすけのバラエティショップ

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暴力的とさえいえるビッグバジェットによる多次元の表現方法が、観る者の認識を不可逆的に変容させる 映画「スパイダーマン:スパイダーバース」解説(2018年公開)

 映画「スパイダーマン:スパイダーバース」の解説をするのですが、ちょっとあまりにも衝撃的なクオリティで、1回目視聴後にはしばし呆然としました。例によってといいますか、作品の理解を深める為に2回視聴しています。

監督:ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン

主演:色々な次元のスパイダーマン

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<解説>

 この映画はオススメするとかいう話では無くて、通過しなければいけない類の作品でした。日本での公開が2019年なのでこいつは何を今更言っているんだとヤジられるかも知れませんが、未見の人は観ないと駄目な代物で、これはそういう映画です。

 

 なんというか「不可逆」なんですよ。この映画を観てしまったらもう認識が変容してしまい元の自分には戻れない、それくらいこの映画の衝撃は計り知れないものでした。

 

<多次元もの>

 もはやSFジャンルのひとつになりつつある「多次元もの」をこの映画はやっているのですが、ただの多次元ものでは無くて主人公のマイルスが「多次元を渡り歩く」のでは無く「多次元から他のスパイダーマン達がやって来る」んですよね。そしてここが本作のキモで、その多次元からやって来たスパイダーマン達がアニメーションでしか出来ない表現の力を発揮して普通のアニメやノワール、日本の萌えキャラやカートゥーンとか、表現方法が違うスパイダーマンがひとつの作品で同居し、それが違和感なく描写されているのが驚愕なんです。

 

<新しいスパイダーマンの誕生>

 映画の原題が「Spider-Man: Into the Spider-Verse」となっていますが、「Verse」は「マルチバース(多次元)」を意味していますが発音が「バース」なのでこれはもちろん「誕生」という意味の「Birth」とダブルミーニングになっていて、作中で殺されてしまったピーター・パーカーに変わって新しいスパイダーマンであるマイルスの誕生譚になっている。

 

<「大いなる力」という「大いなる誤算、または呪い」>

 スパイダーマンの誕生の仕方は、主人公は望んだ訳でもないのに偶然蜘蛛に噛まれる事でヒーロー能力が身についてしまう「大いなる誤算」の話で「大いなる力」なんていうものは「呪い」でしかなく、それに振り回されてしまうんだけど、彼はその能力と付き合っていくしか無い。そしてマイルスはちょうど思春期なのでよく言われている様に彼が蜘蛛の糸を手から出すのは射精のメタファーで、能力に振り回されるのも思春期になって体や心の成長の戸惑いを表しているのはもちろんスパイダーマンというコンテンツのおさらいであり反復ですね。

 

<「運命は避けられない」というギリシャ的なモチーフ>

 作中で慕っていた叔父が実は敵のヴィランのひとりで、マイルスを殺そうとするけどお互いのマスクが剥けて正体が分かり、叔父はマイルスを殺せずボスのキングピンに始末されてしまう。

 

 落ち込むマイルスを別の次元のスパイダーマン達が慰めるのですが、ここでかなりキツイ事を告げられ「私達も大切な人を亡くした、これは避けられないんだ」と説明される。「運命は避けられない」というモチーフは、ギリシャ悲劇とおんなじで別の次元でも同じ事が反復されていて、映画のポスターにある「運命を受け入れろ」というキャッチコピーは「理不尽にもヒーローになってしまった自分」と「愛していた者が理不尽な死を迎える」事の両方を指しているんですね。

 

<マイルスの覚醒>

 図らずもマイルスはスパイダーマンになってしまい、最初はその事にとまどい自分の意志では力を上手く使いこなせない(最初の「跳躍」で失敗する)んだけど、ピーター・B・パーカーに能力の使い方を少し教わったりするのですが、まだ未熟で最終決戦には連れて行ってもらえず置いて行かれる。

 

 だけど、彼は「僕は出来ない」という自分の思い込みを破り覚醒。「跳躍」に成功し衣装を自分の得意なグラフィティで着色し直し自分なりのスパイダーマンとして最終決戦に参加。他のスパイダーマン達を元居た次元に送り返し、叔父のアドバイスを思い出して「悪である姿を家族に隠し、それがバレたせいで家族を亡くした運命を受け入れられず取り戻そうとしている」マイルス達スパイダーマンと鏡像関係にあるキングピンを、叔父から教わった「ショルダータッチ(ヴェノムストライク)」で倒す。

 

<ピーター・パーカーに人生を返してあげる話>

 この映画はマイルスという新しいスパイダーマンの誕生譚なのですが、それは同時に前のスパイダーマンからヒーローを継承し、今までスパイダーマンをして来て私生活が破綻してしまったというか、スパイダーマンというコンテンツが続いてしまった事で犠牲になってしまったピーター・パーカーの人生というものを彼に返してあげる話なんですよね。

 

<音楽の選定と映像表現のミクスチャー>

 この映画で使用される音楽のジャンルがヒップホップで、マイルスが黒人だからというある種偏見めいた感じはしますが、実は映画の表現方法とリンクもしていて、多次元からやって来たスパイダーマンと、彼等を映像表現での着色方法(CMYK)と漫画の着色方法(RGB)が混合する「ミクスチャー」になっているからヒップホップを使用していてここも上手いんですよね。

 

<次回作への伏線>

 エンドロール後に、いままで出て来たスパイダーマンとはまた別のスパイダーマンが何か話をしていて、どうもこれは今年の6月に公開される続編の伏線らしく、しかも今度のポスターには「運命なんてブッつぶせ」とあり、もしかするとスパイダーマンという物語の再構築をするのかなと思ったりします。

 

<日本では到底出来ない、ビッグバジェットというある種の暴力>

 Wikipedia調べですが、この映画の製作費は日本円に換算しておよそ100億円らしく、スパイダーマンというコンテンツがいかに愛されているか、そしてそこにかける予算と製作者の半端ない熱量がこの傑作を生みだしたのだと思いますけど、なんかある種の暴力を浴びた気分も半端ないんですね。

 

 日本のサブカル系の大作映画でも、例えば「シン・エヴァンゲリオン劇場版」や「シン・ゴジラ」でもだいたい20億円でしか無い訳で、向こうがこんな化け物を送り込んで来たらこちらとしてはひとたまりもないので、非常に面白かったですがちょっと呆然としちゃいましたね。